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    「手錠」

     新宿・歌舞伎町のラブホテル街をキャリーバッグを引きながら、新宿駅方面に急ぐ若い女がいた。左手首の腕時計に目を落とした後に前を向くと、制服警官が二人立ちはだかっている。
    「お急ぎのところすみません、職務質問させてください」
     やや太めの警官が女に声を掛けた。
    「あたし、急いでるんですけど?」
     若干尖った声で返答した。
    「申し訳ありません、この辺りでちょっとした事件がありまして。すぐ終わりますので、ご協力お願いできませんか。何か身分を証明するものをお持ちでしたら、ご提示いただきたいのですが」
     もう一人の背の高い警官が妙に腰の低い調子で説得する。女は渋々肩に掛けたバッグから取り出した財布にしまっていた運転免許証を見せた。太った警官が懐中電灯でそれを照らして記載事項を確認すると、付け加えるように言った。
    「大変恐縮ですが、お荷物の中身を見せていただけませんか?」
    「それは……」
    「ちょっと拝見させていただくだけで構いません。ご協力を」
     長身の方も畳みかけてくる。女と警官二人はしばらく押し問答をしていたが、やがて根負けしたのか、女は仕方なさげにキャリーバッグを開いた。
    「これは何ですか?」
     長身が持ち上げたキャリーバッグの中身に照明を当てながら、太った方が訊いた。先端が幾つのも房に分かれた革製品だ。
    「……その、ちょっと叩いたりするものでして……」
    「叩く? ちなみにこれは何です?」
     太った方が風呂敷包みの結び目を解く。中からはエンジ色の麻縄の束が複数顔を覗かせた。
    「いや、これはちょっと結んだりするものでして……」
     俯いた女の答えは歯切れが悪い。
    「結ぶ? これは人を拘束するものではありませんか? 何のためにそんなことを?」
    「おや、この黒い革製品は何です?」
     背の高い方の問いに、太った方が上擦った声で応じた。
    「刑務所なんかで使われる革手錠に似てますねえ。あなた、何でこんなものを?」
    「仕事です」
    「何の仕事? 随分物騒なものをお持ちですねえ」
     女は顔を上げた。卵形で整った目鼻立ちをしている。髪の毛は肩の辺りまで垂らしているのが見える。
    「その、女王様をしてるんです……」
    「女王様って、SMの? 失礼ながら、そうは見えませんねえ。清楚でお綺麗なのに」
     太った方の態度が次第に無遠慮になってきた。女は少し憤然とした表情となっている。
    「あのう、もういいですか? 急いでるんですよ」
    「残念ながら、署にご同行いただくしかありません」
     キャリーバッグの蓋を閉めた後、長身の方が告げた。
    「な、何で?」
    「あなたは人を叩いたり、拘束したりできる物を持ち歩いている。これは詳しく話を訊かせてもらうしかありません」
    「そうしてほしい人がいるからなんです。何も悪いことはしていません」
     すると、太っている方が女の右手を背中にねじ上げた。
    「何するの? あたし、何も悪くないのにっ」
    「軽犯罪法違反の現行犯であなたを逮捕します」
     カチャリという冷たい音とともに右手首に金属が巻き付いてくる。手錠を嵌められたらしい。
    「言い分は署でゆっくり聞いてやる。大人しくするんだな」
    「そんな……」
     左手首にも続いて手錠を打たれた。女はその場にしゃがみ込みそうになりながら、言葉を継げなかった。両目には涙が浮かんでいた。

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