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    「連行」

     インターフォンが鳴ったのはこれで2回目だった。とっくに化粧を終え、白いブラウスに濃紺のスカートという通勤着に着替えている。これから出勤しようというのに、応対するのは面倒だ。今井奈々美は無視してマンション自室のドアを開けた。目の前には黒いスーツの男女が立っていた。いずれも見覚えのない顔だが、オートロックを突破して部屋の前までやって来ていることに不気味さを覚えた。
    「今井さんですね
    「何ですか、あなた方は? もう出勤するんですけど」
     2人が醸し出す威圧感に圧倒されながら、奈々美は2人を睨み据えた。朝の忙しい時間に、こんな訳の分からぬ者たちの相手をする暇はない。
    「われわれはこういうものでしてね」
     男女が上着の内ポケットからバッジのような物を取り出した。上半分に男の顔写真、下半分には警察の紋章が取り付けられている。
    「警察……?」
    「警視庁生活安全課の木内と申します。今井さんに2、3お話をうかがいたいことがありまして」
    「わたし、急いでるんですけど。仕事が終わった後にしてください」
     奈々美は足を踏み出そうとした。2人はまったく道を開けようとはしない。ただならぬ雰囲気を感じ、奈々美は肘に掛けていたショルダーバッグを肩に掛け直した。すると、目の前にいた木内がその場に倒れた。
    「痛え……」
    「え、嘘でしょ?」
     起き上がった木内と女刑事が左右から奈々美を取り押さえた。
    「今井奈々美、公務執行妨害の現行犯で逮捕する!」
     木内が叫んだ。
    「そ、そんな、バッグが当たっただけなのに……」
    「言い訳は署で聞くわ」
     女刑事が冷たく言いながら、奈々美の両手に手錠をはめた。木内がポケットから取り出した茶色い縄を手錠の鎖に結び、奈々美の腰に巻き付けた。呆然とする奈々美の背中を、背後に立った木内が小突いた。
    「たっぷり取り調べますからね。覚悟しておきなさいよ」
     女刑事が憎々しげに言った。色白で細面に切れ長の目、中肉中背、表情を歪めていなければ和風美人で通るだろう。奈々美は引きずられるようにエレベーターの前まで歩かされる。女がエレベーターのボタンを押す。籠は5階から10階に向かっており、奈々美たちのいる4階まで降りてくるのに時間が掛かるだろう。手錠に腰縄姿で待たされるのはたまらなく恥ずかしかった。
     数分後、エレベーターが4階に到着した。運悪く、マンションの住人らしき男が乗っている。年齢は奈々美と同年代のアラサーだろうか。背格好から見てサラリーマンらしい。奈々美たちが乗り込んでくると、目を剥いている。奈々美は顔を伏せた。背中まである長い黒髪に丸顔、目がパッチリと大きく色白。いわゆる男ウケのする自らの顔貌を密かに誇っていたが、今は誰にも見られたくなかった。
    「すみませんねえ、お騒がせして」
     女刑事がにこやかにサラリーマンに会釈した。エレベーターが1階に着くと、サラリーマンは奈々美たちを押しのけるように小走りで籠から出た。奈々美はマンションの目の前に止まった黒いワンボックスカーの後部座席に押し込められた。右を女刑事が、左を木内が固めている。
    「おや、もう逮捕したんですか?」
     運転席に座っている大柄な男が振り返って言った。眼鏡の下にどこか下卑た目が奈々美の全身を無遠慮に眺め回している。
    「公務執行妨害ですからね」
     女刑事が奈々美の顎をつまんだ。その手を振り払おうとしても、臍の上あたりに縄で固定された手錠に阻まれる。
    「痛いっ、こんなことしていいんですかっ」
     女刑事は手を離したが、奈々美に向ける視線から憎悪の色は消えていない。奈々美は涙を浮かべた顔を歪めている。
    「どうした? どこか痛いのか?」
     木内が尋ねた。奈々美はしばらくの間沈黙していたが、やがて絞り出すように言った。
    「手錠が手首に食い込んで痛いんです。緩めてくれませんか?」
     口惜しさからなのか、顔は紅潮している。
    「我慢しろ。自分がどんな立場か分かっているのか?」
     奈々美は顔を俯けた。手錠のはまった両手の方に涙の滴が落ちた。
    「手錠を緩めてやっても良いんじゃありませんか? われわれも被疑者に不当な痛みを与えたいわけじゃありませんからね」
     運転席の男の声が耳に入った。思わず奈々美はそちらの方を見た。
    「それもそうだな」
     木内の言葉を受け、女刑事が不承不承といった様子で奈々美の両手から手錠を外した。奈々美は両手首を揉んでいる。
    「痛みはなくなったの?」
    「はい……」
     女刑事の問いに奈々美は答えた。
    「今後は、痛くないようにしてやった方がいいかもしれませんな」
    「そうだな」
     運転席の男の言葉に応じた木内は、奈々美の両手首を背中に固定した。
    「何をするんですっ?」
     抵抗したが、男の力には敵わない。どこから取り出したのか、女刑事が茶色い麻縄を木内に差し出した。瞬く間に両手首に縄が巻き付いてくるかと思うと、乳房の上に幾筋も縄を掛け回される。既に身動きが取れなくなった。
    「こ、こんなことって……」
     困惑している間に、乳房の下にも縄が喰い込み、脇の下を通すように縄が掛けられる。手錠を上回る拘束感と屈辱感に、奈々美は呻いた。
    「この方が手首は痛くないはずだ。本来、囚人は縄で縛るものだしな」
     木内は片頬を歪めた。横からは女刑事の蔑むような視線が、運転席からはイヤらしい目線が、それぞれ奈々美の縄付き姿に突き刺さってくる。
    「さ、話は署でゆっくり聞きましょう。容疑は公務執行妨害だけじゃないからな、覚悟しておいてね」
     女刑事の冷たい声が車内に響く中、車は発進した。

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